最近、信州大学中山淳教授のグループがまた新たな発見をし、Journal of Clinical Investigation誌(122:923-34, 2012)に発表しました。
第3章で述べた、腺粘液細胞が産生・分泌する腺粘液に特有の糖鎖である、GlcNAcα残基のない動物はどんな状態になるでしょうか。現在の遺伝子工学を用いると、ある特定の糖残基を持たないムチンだけを産生するマウスを作ることができます。中山教授らは、GlcNAcαを末端に持たない腺粘液を作るマウスの系統を作り出しました。このようなマウスを一般にノックアウトマウス(KOマウス)といいます。そしてそのKOマウスの飼育を続けたところ、生後5週目位から胃、特に十二指腸に近い部分である幽門部を中心として、粘膜層が厚くなる過形成の現象が見られました。そしてさらに飼育を続けたところ、幽門部に限局して胃粘膜に腺がんができたのです。この際、胃がんの原因として知られるピロリ菌の感染はありませんでした。この結果は粘液物質の特定の糖鎖の構造を無くしたところ、胃粘膜に炎症が起こり、その炎症から発展して胃がんができたことを意味しています。実際にこのKOマウスでは炎症に関係するサイトカインと呼ばれるタンパク質や増殖因子と呼ばれるタンパク質などが正常マウスより多く作りだされており、これが粘膜過形成と関係していると考えられます。
マウスで発見されたこの現象はヒトにも当てはまるのでしょうか。実際にヒトの幽門部にできた分化型腺がんの患者の切除組織を病理学的にしらべたところ、腺粘液には、GlcNAcα残基がないか僅かしか存在しないことが明らかになりました。正常なヒト組織で同じ検査をするとすべての腺粘液がGlcNAcα残基を有しています。このことは、ヒトにおいても、GlcNAcα残基をつくる力が何らかの原因で損なわれた腺粘液ができるようになると、腺がんが増えてくる可能性を示しているといえます。
第3章で述べたことと合わせて考えると、正常な腺粘液を作り続け、分泌することは単にピロリ菌が原因となる胃炎や胃がんの発症を抑えるばかりでなく、ピロリ菌に関係のない、分化型の胃がんの発症も抑えていることになります。
このように、胃粘液が正常に産生され分泌されていることが、胃の健康保持と深く関係することが今後も明らかにされていくことでしょう。
監修
経歴:
1988年3月 慶應義塾大学医学部卒業
1988年6月 医師国家試験合格 慶應義塾大学医学部内科
1990年6月 慶應義塾大学伊勢慶應病院内科
1992年6月 慶應義塾大学医学部消化器内科
1993年8月 慶應義塾大学医学部救急部
1999年1月 慶應義塾大学医学部救急部医局長
2002年1月 慶應義塾大学医学部救急部医長
2003年10月 慶應義塾大学医学部消化器内科
2004年11月 木村メディカルクリニック開設
2007年11月 医療法人社団ファーストムーブメント設立
まとめ
第5章では、「胃粘液の研究の現在とこれから」についてお話します。
Copyright © Eisai Co., Ltd. All Rights Reserved.